貧困レベルを表す指標の一つに相対貧困率がある。あくまで「相対的」だから、相対的貧困層に分類された人であっても、必ずしも「国や社会の助けが必要なほど困窮した経済弱者」というわけではない。というか、多くは普通に暮らせるレベルの人々だ。
年収1000万円の世帯でも、年収1億円の世帯と比べれば相対的な貧困層になる。世帯人数によっては、年収1000万円の世帯が年収500万円の世帯と比べて相対的貧困層になることもある(世帯人数が増えると相対的貧困レベルは上がる)。
日本の相対的貧困率は可処分所得で算出されるから、莫大な預貯金や豪邸があっても、可処分所得さえなければ相対的貧困層にカウントされる。日本から見れば全員極貧の途上国でも、相対的貧困を用いれば、その国の中では多くが「貧困でない」となる。
最近、やたらと「子供の貧困」という言葉を見聞きする。OECD諸国の中で日本の子供の貧困率はワースト8だとか、片親ならワーストだとか、子供の6人に1人が貧困だとか、そういう話だ。似非人権派の流行が、ナマポから子供の貧困に移ったらしい。
そういった報道があると、たいていは情報の受け手に疑念の声がわく。「そんなに大勢いるの?」、「あまり実感しないけど・・・」、みたいな。すると、心優しい人権派メディアや有識者様は、「見えない貧困を感じろ、この低脳ネトウヨが!」、とお怒りになる。
情報発信側の人権派様は、疑問を抱く人々をネトウヨ的特定市民に矮小化するが、この認識のズレは必然的に起きている。普通の人ならば、ほとんど誰でも同じ事を感じるはずだ。何故ならば、人権派様は「相対的貧困」を「貧困」と言っているからだ。
↓普通の人の思い浮かべるであろう「貧困」の例
↓人権派が同列に扱う「相対的貧困」は「貧困」と呼ぶべきか?
普通の人の感覚として、「貧困」は極めて貧乏な人々を指す。ドラマ「家なき子」の安達祐実だったり、一家離散して公園で暮らしたお笑い芸人の田村だったり、漫画お坊ちゃまくんの貧ぼっちゃまだったり、浦安鉄筋家族の仁だったり、そういうのが貧困だ。
必要最低限の暮らしもままならず生活保護受給に値するレベル、それくらいが我々一般人のイメージする貧困であり、またそのレベルが貧困の本来の定義であり、相対的貧困を貧困として扱う人権派様とは、基本的な認識が根本的に異なるわけだ。
つい先日、NHKが「子供の貧困」をテーマにした番組を放送した。ところが、番組に出演した貧困家庭の女子高生にニセ貧困疑惑が浮上して、「またNHKがやらせか!」、「また弱者様詐欺か!」等とネットを中心に大炎上してしまった(まだ炎上中?)。
それらの批判に人権派様は大変お怒りの様子だが、no-risuは「そりゃ炎上するだろw」と思う。出演した女子高生は持ち物も食生活もそこそこ普通で、確かに相対的貧困かもしれないが、多くの視聴者が考える貧困ではなかったのだから。
一般視聴者は、極貧を想像して心を痛めていたのに、実は極貧ではなく私立大に行く金が無い程度の少々貧しい女子高生で、しかも勉強やバイトより紅い政治活動に熱心となれば、誰だって「騙された!」、「気持ちが踏みにじられた!」、と思うだろうよ。
人権派様はナマポ世帯を貧困世帯とするが、大多数の一般人は貧困世帯と考えない。生活保護を受給した時点で、その世帯は貧困層ではなくなる。そして、理屈で考えれば後者の方が妥当で、人権派様の思考は感情的な個人的主観にすぎない。
人権派様は、相対的貧困層をまるっと貧困扱いする杜撰を改めるべきだ。お前らにとって貧困層は多ければ多いほど都合が良く、日本は貧困層に溢れた悲惨で無慈悲な国であらねばならないのかもしれないが、それは現実と乖離している。
だから、現実を生きている圧倒的多数の一般人から、人権派様に疑念と不信の視線が向けられる。その現実を認めたくないのか、認識出来ないのか知らないが、異論者にネトウヨのレッテルを貼って、偉そうに自己正当化しても、全くの無意味と知れ。
そして、人権派様のせいで民心が貧困問題から離れていけば、本当に助けるべき貧困層が最も不利益を被る。NHKに出演した女子高生など、まさしく人権派様の被害者であろう(本人が人権派様側で、自業自得の可能性もありそうだが)。
貧困層を助けたい気持ちが本心なら、人権派様は直ちに態度を改め、相対的貧困と貧困はしっかり別物として扱うべきだ。
BJ:NHK特集、「貧困の子」がネット上に高額購入品&札束の写真をアップ!部屋もモノで溢れ
https://news.nifty.com/article/item/neta/12111-26601/
"NHKがまたやらせ問題で揺れている。
先日放送されたニュース番組の「子どもの貧困」をテーマにした特集のなかで取材を受けた女子高生が、本人のものと思われるツイッター(現在このアカウントは削除)上で「イエス!!!散財!!!!!」などという書き込みとともにマンガ作品のグッズなどの高額商品の購入写真を多数アップしていることが発覚。番組視聴者からは「パソコンやエアコンを買うお金もないと言っていた貧困家庭なのに、こんなものを買う余裕はあるのか?」と報道内容に多くの疑問の声が寄せられている。
さらにはツイッター上に彼女の同級生と名乗る女性から、彼女の日頃の素行の悪さを暴露するものやNHKのやらせを示唆する内容のリークが行われ、そのあまりの内容にインターネット上では「こうした嘘が貧困をさらに貶める」「こんなことをするからNHKの受信料を払いたくない」と怒りの声で溢れており、出演した女子高生の住所まで特定する、いわゆる「祭り」状態になっている。
そうしたこともあってか、特定された女子高生の自宅まで押しかける人々が後を絶たないようで、今度はツイッターで姉を名乗る女性から「妹は何も嘘をついてません。高価な物は私が全部買いました。家に行くのは本当にやめてください」との書き込みがなされた。
しかしこのツイートが火に油を注ぐことになる。「エアコンじたい家に設置されていません。1台も」との発言に対し、放送された映像ではエアコンが映っていたことを問いただされると、「電気代節約のためにつけませんでした」と苦しい言い訳で発言を修正し、「夏場で室温は高いはずの部屋で窓を締め切って撮影していたのは、エアコンを使っていたからではないか」とNHKのやらせ疑惑を補強することになってしまう。さらには過去にアップされた画像に数百万円単位の1万円札を手に持ったものが見つかり、援助できる近親者がいるにもかかわらずなぜ貧困に陥っているのかと、疑惑は収束するどころかいっそう深まる一方である。
今回の疑惑に対しNHKに問い合わせのメールをしてみたところ、
「NHKとしては、厳正な取材をして、家計が苦しく生活が厳しいという現状であることは間違いないと、担当者から報告を受けています。
ですので、ネット等に関しましては、取材の範囲ではありません。但しご意見は担当者に伝えます」
との回答を得た。
確かに報道した内容にいくつもの嘘が見つかったからといって女子高生の家庭が貧困ではないとの証明にはならないが、貧困が事実だとしてもツイッターでの女子高生の生活ぶりからすると社会の問題ではなく、浪費癖という個人の問題のように感じられる。
取材の映像でも、少女の部屋はモノで溢れており、エアコンがないと言っているにもかかわらず女子高生の部屋にはエアコンらしきものがしっかりと映っている。それでもNHKは貧困家庭として疑問を持つことは本当になかったのか。なかったとしたら取材力の低さに問題はないのか。
貧困は社会が抱える大きな問題だが、だからといって報道でそれを捏造してしまえばたちまちに矮小化されてしまう。NHKは一連の疑惑にどう対応していくのか、今後の動向を注視したい。"
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