2017-04-27 20:40

非・被害者の本音はみなに共通では?


石打ちの死刑とされた女がいた。石を投げつけようと集まった市民にイエス・キリストは言った。「あなた達の中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と。これを聞いて、誰も女に石を投げることができず、市民らは引き下がったという。

「うちじゃなくて本当によかった!」

「東京(等臨海大都市)だったら日本終わってたな!」

大震災が発生してから今まで、被災地以外の地域に住む人々は、上記の様なことを一度くらいは思ったことがあるだろう。「そんな不謹慎なことは微塵も考えたことございません!」と言い張る人もいるだろうが、そいつは嘘つきとか詐欺師の類だ。

思わないわけがない。人間とは、何か大きな不幸が発生したとき、それが自分に関係ないと知れば安心する生き物であり、関係ないことを知って安心したい生き物であり、関係ないことを知らせて安心させたい生き物である。それが人の心理だ。

だから、海外でテロ事件が発生すれば、マスコミは「日本人の被害は報告されていません」と伝える。飛行機墜落事故ならば、ニュースキャスターは嬉しそうに「乗客に日本人は、いませんでした!、いませんでした!、いませんでした!」と言う。

それを聞いて、人々はホッと胸をなでおろす。犠牲者数も被害規模も同じなのに、関係ないことを知って「日本人が含まれてなくて良かったぁ」と安心する。

今村復興大臣が更迭された。

東日本大震災について、「東北で良かった」と言ったからだ。東京なら復興不可能な莫大な被害額となった可能性あり、復興可能な金額規模だったという意味で「東北で良かった」と述べ、これが「被災者を軽視する心無い発言」と猛烈な批判を浴びた。

この件について、メディアは被災者の怒りの声を積極的に報じている。メディア自身も猛批判しているし、民進党ら野党はもちろん与党自民党内でも批判の嵐だ。

確かに、今村大臣の発言はよろしくない。悪意はなかろうが、「不幸中の幸い」的なニュアンスが含まれているのは間違いなく、それが被災者感情を傷つけることも間違いないわけで、発言は明らかに不適切だったと言う他無い。

でも、だからといってよってたかって批判するのはどうなのよ。批判している人々だって、おそらく全員が同様のことを思ったことがある。東日本大震災の被災者も、熊本地震が起きたときは「今回は東北じゃなくて良かった」と思ったのではないか。

自分のことを棚にあげ、うっかり口を滑らした人間を総攻撃するのは卑怯で醜い。それに、「東北でよかった」という思いと、復興に係る情熱量や寄り添う気持ちの度合いはリンクしない。それは別感情であって、色んな感情が同居するのが人間だ。

今村大臣を批判するなとは言わないが、あの一言で人格全否定はやりすぎだろう。節度ある批判が求められるのではないか。自分に今村大臣の発言を批判する資格があるのか、みな胸に手を当てて考えてみるべきだ。




西日本:「恥ずかしい」「情けない」批判の声 「辞任は当然」地元・佐賀 今村復興相更迭
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170426-00010002-nishinpc-soci
" 衆院比例九州選出の今村雅弘氏は佐賀県鹿島市出身で、小選挙区では過去5回当選の経歴を持つ。地元の佐賀県の人たちからは「恥ずかしい」「情けない」と批判の声が上がった。
 「被災者の心をいたぶるような言葉。辞任は当然だ」。東日本大震災の後、岩手県に約2年半移り住んでボランティア活動を続けた武雄市の会社員吉田秀敏さん(63)は憤った。今村氏は今月4日には福島第1原発事故による自主避難者の帰還を「本人の責任」とも発言。被災者の感情を逆なでする失言の連続に「東北にいる被災者やボランティア仲間がどれだけ悲しむか。到底、許せない」と話した。
 復興支援のため、宮城県産米を使った日本酒造りの活動を続ける吉野ケ里町の西村一守さん(68)は、郷土出身の閣僚を励まそうと今村氏に日本酒を贈ったことがあるという。「復興に取り組む人たちの活動を踏みにじった。被災者に失礼だし、佐賀県人として恥ずべきだ」
 今村氏の地元、鹿島市の関係者も驚きと落胆を隠さなかった。市観光協会代表理事の中村雄一郎さん(68)は「誤解を招く発言は慎んでほしかった。地元出身の大臣として東北復興に力を注いでほしかった」と無念さをにじませた。
 市内の男性(65)は「地元では期待する声が多かったのに、こういう形で辞めるのは情けない。被災地をどう思っているのか、腹の中が分からない」と語った。
=2017/04/26付 西日本新聞朝刊="





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  1. 東日本大震災
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2016-10-28 21:15

大川小学校を悪者にすべきではない


東日本大震災が発生したとき、宮城県石巻市立大川小学校には11人の教師がいた。大川小学校は海から4キロ離れた場所にあり、ハザードマップでは津波到達地域から除外されていた。だから、津波を前提とした避難訓練も行われていなかった。

大川小学校には、児童以外に近隣住民も避難していた。津波避難場所に指定されていたからだ。が、想像を超える高さの津波が発生し、それらの人々はほぼ全滅した。11人いた教師も10人が死亡し、残った1人は精神を壊し引き籠もっている。

これら犠牲者に対し、「津波は予見できた」、「愚かだから死んだ」、「自業自得だ」などと批判するのは理解し難いだろう。「お前が津波を予見しなかったから他の人も死んだ!」、「この人殺しめ!」と、犠牲者や関係者に謝罪と賠償を求める人も居まい。

普通は。しかし、現実はそう単純ではないらしい。

大川小では70人あまりの児童も津波の犠牲になったが、犠牲者の内の3割ほどの親達が、「我が子が死んだのは教師らが津波を予見しなかったからだ」、「当時の状況・真相を説明しろ」等と訴訟を起こしていた。賠償請求額はおよそ23億円だ。

先日、仙台地裁が判決を下した。「津波は予見できたはずだから学校と教師が悪い、生徒の犠牲はお前らのせいである、賠償金14億円を支払うべし」と。これを聞いて、みなさんはどう思われるだろうか。no-risuは、「正しくない」と感じる。

遺族側を一方的に批判する気は無い。「子を亡くした苦しみを理解出来る」とは言えないが、想像することは出来る。他人に責任を求めたり、死に何かしらの意味を見いだすことで、苦しみが緩和するのかもしれない。そうせずにはいられないのかもしれない。

だが、それでも、犠牲になった教師らに責任を被せ、裁判所に断罪させ、巨額の賠償金を支払わせる行為は、何度考えても「正しくない」と感じる。教師も児童も、どちらも同じ震災の犠牲者で、「どっちが悪い!」何て議論は間違っている。

後付けでなら何とでも言える。仙台地裁は「教師は津波を予見できた」としたが、それは可能性の話にすぎない。そんなことを言い出せば、「児童の親は、教師が津波を予見できないことを予見できたはずである、よって親が悪い」なんて理屈も成り立つ。

勝訴判決を受けて、原告が掲げた紙には、「勝訴!子供たちの声が届いた!」と書かれていた。たぶん、子供達はこんな裁判を望んでいない。普通に考えれば、親と教師が泥沼のケンカをする姿を見せられて、それに喜ぶ子供は居ないと思う。

報道を眺めていると、原告勝訴の判決もあってか、「児童と親は大川小学校の被害者」、「学校と教師が悪い」のニュアンスが強い。ズバリその様に書かれている記事も見る。それが「遺族に寄り添う報道でございます」と言わんばかりだ。

でも、それは違うでしょ。どちらも震災の被害者だ。裁判で負けたからといって、大川小学校と教師を悪者にするべきではない。




NHK:大川小学校の津波訴訟 石巻市などに14億円余の賠償命令
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161026/k10010744931000.html
" 東日本大震災の津波で犠牲になった宮城県石巻市の大川小学校の児童の遺族が訴えた裁判で、仙台地方裁判所は「市の広報車が避難を呼びかけたのを教員らが聞いた時点で、津波が到達する危険を予測できた」と指摘して、石巻市などに対し原告全員に14億円余りの賠償を支払うよう命じました。
 石巻市の大川小学校は、学校の管理下としては震災で最も多い74人の児童が津波の犠牲になり、このうち23人の児童の遺族は石巻市と宮城県に対し1人当たり1億円、合わせて23億円の賠償を求める訴えを起こしました。
 裁判では海岸からおよそ4キロ離れた小学校まで津波が来ることを学校側が予測できたかどうかなどが大きな争点となりました。
 26日の判決で、仙台地方裁判所の高宮健二裁判長は、石巻市と宮城県に対し原告全員に合わせて14億2600万円余りの賠償を支払うよう命じました。
判決では「津波が襲ってくる7分前の遅くとも午後3時半ごろまでには、石巻市の広報車が津波が松林を越えてきていることを告げながら避難を呼びかけたのを、教員らが聞いていたと認められ、この時点で小学校に津波が到達する危険を予測できた」と指摘しました。そのうえで、「教員らが校庭からの移動先として目指した川沿いの交差点の標高は7メートル余りしかなく、避難場所としては不適当だった。一方で、近くの裏山には小走りで1分程度で移動できたうえ、過去に学習の場などで児童も登っていた場所で、避難するのに具体的支障はなく、避難についての過失があった」と指摘しました。
 また、裁判所は「教員らはみずからの判断で自主的に避難することができない児童らを可能なかぎり避難させるべき義務を負い、多少の混乱をいとわずに児童らをせかし、小走りで移動させてでも早期の避難を最優先すべきだった」という判断を示しました。
 大川小学校は当時、津波の避難場所に指定されていて、宮城、岩手、福島の3県の教育委員会によりますと、震災をめぐる裁判で、避難場所に指定された学校からさらに避難することについて過失が認められたのは初めてです。・・・・・・"





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  1. 東日本大震災
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2015-09-07 20:15

訴訟は自主避難者を救済しない


福島原発事故の避難者による、国と東電を相手取った集団訴訟について、8月25日に第3次訴訟がさいたま地裁に起こされた。今回は7世帯22人、内21人は自主避難者だ。1次2次合わせると20世帯68人になったが、全体で見ても自主避難者が多い。

原告に自主避難者が多いのは、強すぎる被害者意識が主な理由と思われる。避難者と比較して補償が薄いことも関係しているだろうが、手厚い補償を求めるのも被害者意識ゆえだろう。被害者意識の強い人間は、弁護士にとって絶好のカモである。

「どうして私がこんな目に」と嘆く自主避難者に、人権派弁護士が「国と東電のせいですよ」「あなたは何も悪くないですよ、悪いのは国と東電ですよ」、と優しく言い寄り、集団訴訟に引き込む。訴訟への道は、善意で舗装されているわけだ。

第3次訴訟について、埼玉新聞が子供二人と自主避難(いわき市から埼玉)した原告女性(33)の発言を載せていた。ちなみに、旦那とは自主避難でもめて離婚したらしい。これまでも、同様の事例は数多く耳にしてきた。で、女性は次のように述べた。

「原発事故以降、苦しみながら子どもたちを育て、生き続けてきた。死にたいと追い詰められたこともあった。怒りをぶつけるのは訴訟しかないと思った」

おそらくウソは言っていないのだろう。部外者の想像を絶する、辛い日常生活を送ってきたに違いない。全てを国と東電のせいにしたい怒り、そうでもしなければやってられない苦悩、それらは偽りの無い本心であろう。訴訟に逃避するのも分かる気がする。

しかし、原発事故訴訟は女性らを救えるのだろうか。訴訟期間中は、国や東電に怒りをぶつけながら、呪いながら、それを生きがいに踏ん張れるかも知れない。暗い人生だが、それが生きる希望なら、無いよりはマシだ。でも、訴訟が終わったらどうする?。

自主避難者の賠償請求は十中八九認められない。上記の女性は、いわき市から埼玉県に移住した。いわき市は、避難区域住民の主要な移転先の一つだ。双葉町と楢葉町はいわき市に仮役場を設けている。女性に被害は無く、すなわち避難する根拠が無い。

敗訴すれば、当然のことながら女性の苦悩はさらに深まるだろう。より一層、国や東電や社会を恨み呪うだろう。別の理由で訴訟を起こしたり、プロ市民活動に傾倒したり、最悪、呪札にはしるなどして、陰鬱な人生を歩み続けるかもしれない。

では、勝訴すれば女性は救われるのか。勝訴しても、一人頭1100万円の賠償金額は大幅に減額されるだろう。もしも、もしも、満額解答を勝ち取ったとしても、はたして女性は納得出来るだろうか。怒りや恨みを捨てて、人生を前向きに進めるだろうか。

とてもそうは思えない。1100万円は大金だが、彼女の人生を買い戻せる金額ではない。離婚は解消されないし、相変わらず苦しい避難生活が続く中で、賠償金は確実に食い潰されていく。そして、彼女は嘆くだろう。「どうして私がこんな目に!」と。

そもそも、どうして彼女の様な自主避難者は苦しんでいるのか。国が原発を推進したから?。東電が福島原発事故を起こしたから?。それは違う。大本の原因ではあるが、直接的な原因は別にある。直接的な原因は、彼女らの放射能に対する無知だ。

必要以上に放射能を恐れ、不必要な移転を実行したから、しなくても済んだはずの離婚が生じ、余計な生活費もかかっている。それもこれも、放射能のリスクを科学的に考えず、無知が感情的に恐怖を増幅して、感情的な行動に走った結果だ。

彼女ら自主避難者の救済に本当に必要なのは、怒りの捌け口の用意や、一時しのぎの賠償金ではなく、放射能を正しく理解するための情報と教育だ。訴訟仲間らと決別し、いわき市に戻り、旦那と和解し、可能な限り元の生活を取り戻すことだ。

訴訟で自主避難者を救済することは出来ない。一時的に痛みを緩和させる効果はあるだろう。モルヒネみたいに。でも、薬で感覚を麻痺させても、本当の解決から遠ざかり、ますます苦しむだけだ。訴訟より教育、自主避難者の救済にはそれしかない。




埼玉:原発事故訴訟で追加提訴 県内や都内の自主避難者ら窮状訴え
http://www.saitama-np.co.jp/news/2015/08/26/05.html
 東京電力福島第1原発の事故により避難生活を余儀なくされ精神的苦痛を受けたとして、福島県からの避難者が国と東電を相手に、さいたま地裁に起こした損害賠償請求訴訟で、福島から避難している県内と東京都で暮らす7世帯22人が25日、慰謝料の一部など計2億4200万円を求めて追加提訴した。
" 第3次集団提訴で、原告は計20世帯68人、請求金額は計約8億2400万円に上った。
 原告は、原発事故の影響で、福島市、郡山市、いわき市などから県内と東京都に避難してきた0歳から71歳までの男女。双葉町から加須市に避難している1人を除いて、21人は避難区域外から自主的に避難しているため、自主避難者の扱いとなっている。"
" 訴状によると、原告は精神的損害に対する慰謝料などの一部、1人当たり1100万円の損害賠償を請求。国と東電の法的責任を明らかにすることなどを求めている。
 弁護団は、原告の大半を自主避難者が占めた理由に触れ「法的には区域外避難者も保護される対象になっているが、現実的には少額の避難費用が支払われただけ。唯一の住宅支援も打ち切られる方針が出た。自主避難者のお母さんたちが、本当に苦しみ、訴訟に加わるという動きが広まっている」と述べた。"
" 原告の一人で子ども2人とともにいわき市から県内に自主避難している女性(33)は、別居が理由で夫と離婚した経緯を説明。
 苦しい避難生活の実態と、国や東電に対する憤りを明らかにして、「原発事故以降、苦しみながら子どもたちを育て、生き続けてきた。死にたいと追い詰められたこともあった。怒りをぶつけるのは訴訟しかないと思った」と訴訟参加の理由を述べた。"







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  1. 東日本大震災
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2014-12-11 21:08

「復旧より復興」は正しかったのか


被災地の高台移転事業が進んでいない。

産経新聞が石巻市について報じたところによると、遅延理由の一つに「地区内の整備計画が決まらないこと」が挙げられている。グランドデザインやインフラ、土地の権利関係等が複雑に絡み、計画自体への賛否もあるから、難航は当然だろう。

はっきり言って、高台移転計画なんて即座に撤回するべき愚策だ。no-risuは、被災した石巻市の様子を見てきた。愕然とさせられたのが、山肌に引かれた2本の水平ラインだ。それは下が津波到達ラインで、上が高台化予定のラインだった。

よくニュースでは、「数メートルの盛り土で高台を造成する」なんて説明がなされる。簡単そうに思えるが、実際に見ると2階建て民家を飲み込みそうな圧巻の高さだ。膨大な時間と金と労力が必要になることが予想され、「正気じゃない」と呆れた。

造成地の地盤強度も不安だ。次の巨大地震に耐えられるのか、豪雨に耐えられるのか、怪しいもんだ。町の端っこにへばりつく様な、陰気な仮設住宅を遠目に眺めながら、「時間のかかる高台移転は被災者のためにならない」と痛感した。

東日本大震災においては、「復旧」より「復興」の重要性が説かれた。ただ元に戻す「復旧」ではなく、災害経験を生かした新しい町作りを目指す「復興」であるべきだと。結果、町の高台移転や壮大な防潮堤が計画されることになった。

「復興」のスローガン自体は正しいと思っていたが、現状を見ると本当に正しかったのか疑問に感じざるをえない。高過ぎる理想のせいで、復興どころか復旧もままならず、何時終わるとも知れない工事の先にあるのは様変わりした故郷の姿だ。

こんなことなら、とりあえず復旧を優先しても良かったのではないか。元に戻すと言っても、それなりに小奇麗な町に再生されただろうし、次の大震災は数百年後なのだから、それまでに少しずつ議論し改良していく道もあった様に思う。

今回の産経報道もそうだが、仮設住宅で暮らす辛さ・苦しさを訴える声が今も絶えない。そうだろうとも。石巻市に行ったとき、仮設住宅の痛々しさに胸が締め付けられた。遠目に眺めてすぐに目を背けた。現実から逃げ出したくなった。

実際に住み続ける被災者の心労はいかほどか。あと何年耐え続けねばならないのか。「復興」の理念で防災都市を目指すことにより、とりあえず苦痛から解放する「復旧」と比較して、何年余計に苦しむことになったのか。苦しむことになるのか。

今さら後戻り出来るのかは分からない。しかし、復興重視・復旧軽視の前提は見直されるべきだ。もし間に合うのなら、未だに復興計画が迷走中なら、そして被災者が望むのなら、今からでもスピード重視の「復旧」を計画に組み込むべきだと思う。




産経:(5)震災復興 4畳半2間で「年とりたくない」 進まない高台移転 疲労感漂う仮設暮らし
http://www.sankei.com/politics/news/141208/plt1412080008-n1.html
" 「あそこだよ」
 雄(お)勝(がつ)硯(すずり)生産販売協同組合職員の高橋頼雄(よりお)さん(47)は、プレハブの工房の窓の外を指さした。宮城県石巻市の東部に位置し、太平洋に面する雄勝地区。指さした先にあるのは、わずかに色づいた葉をたたえる木々が生い茂る山林だった。"
 東日本大震災の津波で自宅を失った高橋さんは、地区でまとまって高台に移転する国の防災集団移転促進事業で、地区中心部の伊勢畑区域にある、この山を削って整地される土地に新居を建てる予定だ。だが、生活再建への新たな一歩となるはずなのに、表情はどこかさえない。
" 津波被害の大きかった雄勝地区。震災前は約4300人が暮らした。生活には当たり前のように海があった。
 だが、その海からの津波が地区を一変させた。コンビニエンスストア、銀行、ガソリンスタンド…。海から数十メートルの距離に60店舗以上が軒を連ねた商店街は壊滅し、今はコンクリートの基礎部分だけを残して雑草が生い茂る。"
 地区の沿岸部は住宅の新築が制限される「災害危険区域」に指定され、高台移転が決まった。伊勢畑区域の山では当初、今年7月に造成工事が始まるはずだったが、まだ手つかずだ。平成28年8月だった土地の供給開始時期は、今年8月時点で4カ月ずれ込み、さらに遅れる可能性もある。「まだ当分はかかるだろう」。高橋さんはこぼす。
"進まぬ高台移転
 被災3県の集団移転は340計画(26年9月末時点)あり、石巻市内では47計画。すでに土地が引き渡されているところもある。雄勝地区内のほかの計画では造成が進むが、伊勢畑区域の山で進捗(しんちょく)が遅れている理由に、防潮堤を含めた地区内の整備計画が決まらないことが挙げられる。"
 津波被害の大きかったところでは、東日本大震災級の津波を想定し、大規模な防潮堤の建設が計画されているところがあり、雄勝地区もその一つだ。
 県や市は高さ9・7メートルの防潮堤の建設を目指す。波にのまれた商店街の跡地は土を盛って数メートルかさ上げし、商業店舗や名産品の硯の伝統産業会館を整備。伊勢畑区域では、28戸の住宅用地が整備される海抜20メートルの高台に県道を通す計画だ。住宅、商店、道路、土地のかさ上げ、そして防潮堤…。一からの街づくりに、市集団移転推進課の村上秀樹課長(52)は「住民との調整事項の多さが進捗の遅れの要因になっていることは否めない」と話す。
 海とともに暮らしてきた地元の人たちにとって、海の景色と引き離される防潮堤の建設には反対論もある。高橋さんは「地区の人口は減っていくのに、防潮堤を建設するのは無駄だ」と話す。
" 雄勝の景観に引かれ、8年前に横浜市から移り住んだボランティア団体代表、柴田登美枝さん(62)は「コンクリートの大きな壁ができたら、景色が台無し」と表情を曇らせる。
 「防潮堤をつくるなら、高台にすぐ逃げられる大きな道路がある方がいい。国民の税金を使うのだから、有意義に使ってほしい」・・・・・・"







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  1. 東日本大震災
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2014-12-10 20:21

風評被害で金儲け、「美味しんぼ」作者は真性のクズ


美味しんぼ鼻血


社会に影響力を持つ立場の人間が、東日本大震災に関する風評被害をばらまく。被災者や社会の苦情に対して、「私の説明・釈明が聞きたければ金を出せ」、と一方的に本を出版する。こんなことが許されるのか。雁屋哲、こいつは真性のクズである。

「美味しんぼ鼻血問題」。「フクシマは人が住めないほど汚染されている」、「放射能のせいで鼻血が出る」、などと非科学的な反原発プロパガンダを垂れ流した問題だ。被災者はじめ、ネット・自治体・政府などが一斉に抗議の声を上げた。

それらの抗議に対し、雁屋は「本シリーズはまだ途中だから、とりあえず全部読んでから意見しろ」と言い放った。連載している「スピリッツ」を購入しろと言うわけだ。この被災者ビジネスが大当たり、スピリッツは売り切れが続出した。

当然のことながら、シリーズは非科学的な反原発プロパガンダ一色なので、風評被害を受けた人々の不満はますます膨らんだ。一方、「シリーズ終了後に見解を示す」としていた雁屋はトンズラし、長らく音信不通の状態が続いていた。

そして12月10日、雁屋は自身のブログで「問題に対する意見をまとめた本を出版する」と発表した。「俺様の見解を知りたきゃ本を買え」「クレームしたけりゃまずは本を買え」と。風評被害を駆使した炎上商法、被災者ビジネスの第2弾である。

ちなみに、同シリーズの後編がおさめられた単行本「福島の真実2」は今日発売された。コンビニで立ち読みしたが、重要な場面の台詞がいくつか修正されていた。しゃらくさい真似をしやがって。

科学的知見から疑義が唱えられたとき、雁屋と編集部は「長年の綿密な取材に基づいた事実である」と突っぱねたはずだ。ならばどうしてコソコソと修正するのか。どうして素直に間違いを認めて謝罪しないのか。

当ててやる。本当は間違っていたなんて思っていないし、だから反省なんてしていないし、被災者に配慮したわけでもないのだ。小学館に対する批判を和らげたいがため、雁屋の同意も得られないまま編集部の判断で保身に走ったに決まっている。

腐れ外道め。

雁屋の意見本は来年1月に出版される。絶対に買ってはならない。美味しんぼ問題で傷ついた人こそ読みたくなるかもしれないが、絶対に買ってはならない。どうせ内容は自己正当化一色の反原発プロパガンダで、心の傷をさらにえぐられるだけだ。

心配しなくても、概要くらいはマスコミ報道で明らかにされる。だから購入はグッと堪えよう。雁屋らの被災者ビジネスを成功させてはならない。こんなことが許されてはならないのだ。




朝日:「美味しんぼ」雁屋さん、本で意見表明へ 原発描写巡り
http://www.asahi.com/articles/ASGDB3PZZGDBUCLV003.html
 東京電力福島第一原発事故を巡る描写が議論を呼び、休載している人気漫画「美味(おい)しんぼ」の原作者雁屋哲さんが10日、問題に対する意見をまとめた本を来年1月に発売すると、自身のブログで発表した。問題になった部分を含む単行本111巻「福島の真実2」は本日発売。
 今年4月と5月に発売された週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)の作品に、鼻血と被曝(ひばく)を関連づける描写などがあり、福島県などが抗議をした。





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