2014-08-05 21:52

朝日新聞慰安婦特集アーカイブその8


他紙の報道は
http://www.asahi.com/articles/ASG7L7GGWG7LUTIL05Y.html
 他の新聞社は慰安婦問題をどう報じてきたのか。国立国会図書館に所蔵されているマイクロフィルムや記事を検索できる各社のデータベースなどを参考に、特に1980年代後半以降の読売新聞、毎日新聞、産経新聞の記事を調べた。

 論点は、朝日新聞が今回の特集で点検の対象とした、吉田清治氏(故人)をどう報じたか▽「慰安婦」と「女子挺身(ていしん)隊」を混同したか▽慰安婦問題を報じる際、「強制連行」という言葉を使ったか――の3点。

 韓国・済州島での「慰安婦狩り」を証言していた吉田氏。同氏を取り上げた朝日新聞の過去の報道を批判してきた産経新聞は、大阪本社版の夕刊で1993年に「人権考」と題した連載で、吉田氏を大きく取り上げた。連載のテーマは、「最大の人権侵害である戦争を、『証言者たち』とともに考え、問い直す」というものだ。

 同年9月1日の紙面で、「加害 終わらぬ謝罪行脚」の見出しで、吉田氏が元慰安婦の金学順さんに謝罪している写真を掲載。「韓国・済州島で約千人以上の女性を従軍慰安婦に連行したことを明らかにした『証言者』」だと紹介。「(証言の)信ぴょう性に疑問をとなえる声があがり始めた」としつつも、「被害証言がなくとも、それで強制連行がなかったともいえない。吉田さんが、証言者として重要なかぎを握っていることは確かだ」と報じた。

" この連載は、関西を拠点とした優れた報道に与えられる「第1回坂田記念ジャーナリズム賞」を受賞。94年には解放出版社から書籍化されている。

 読売新聞も92年8月15日の夕刊で吉田氏を取り上げている。「慰安婦問題がテーマ 『戦争犠牲者』考える集会」との見出しの記事。「山口県労務報国会下関支部の動員部長だった吉田清治さん」が、「『病院の洗濯や炊事など雑役婦の仕事で、いい給料になる』と言って、百人の朝鮮人女性を海南島に連行したことなどを話した」などと伝えている。"

" 毎日新聞も吉田氏が92年8月に謝罪のために訪韓した様子を同年8月12日と13日の朝刊でそれぞれ報じた。

 90年代初期には、「慰安婦」と「挺身隊」の混同もみられた。"

 朝日新聞の過去の記事に両者の混同があったことなどを批判した読売新聞は、91年8月26日朝刊の記事「『従軍慰安婦』に光を 日韓両国で運動活発に 資料集作成やシンポも」の中で、「太平洋戦争中、朝鮮人女性が『女子挺身隊』の名でかり出され、従軍慰安婦として前線に送られた。その数は二十万人ともいわれているが、実態は明らかではない」と記載している。

 また、92年1月16日朝刊に掲載された宮沢喜一首相の訪韓を伝える記事でも、「戦時中、『挺身隊』の名目で強制連行された朝鮮人の従軍慰安婦は十万とも二十万人ともいわれる」と記述するなど、混同がみられた。

 毎日新聞も、元慰安婦の金学順さんを取り上げた91年12月13日朝刊「ひと」欄の記事の中で、「十四歳以上の女性が挺身隊などの名で朝鮮半島から連行され、従軍慰安婦に。その数は二十万人ともいい、終戦後、戦場に置き去りにされた」と報じた。

" 朝日新聞社は、ここで取り上げた記事について各社の現時点での認識を尋ねました。毎日新聞社と産経新聞社からは次の回答がありましたが、読売新聞社は回答しませんでした。

 〈毎日新聞社社長室広報担当の話〉 いずれの記事も、その時点で起きた出来事を報道したものであり、現時点でコメントすることはありません。"

 〈産経新聞社広報部の話〉 当該記事では、吉田清治氏の証言と行動を紹介するとともに、その信ぴょう性に疑問の声があることを指摘しました。その後、取材や学者の調査を受け、証言は「虚構」「作り話」であると報じています。 




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2014-08-05 21:50

朝日新聞慰安婦特集アーカイブその7


「元慰安婦 初の証言」 記事に事実のねじ曲げない
http://www.asahi.com/articles/ASG7L6VT5G7LUTIL05M.html

Q 元朝日新聞記者の植村隆氏は、元慰安婦の証言を韓国メディアよりも早く報じました。これに対し、元慰安婦の裁判を支援する韓国人の義母との関係を利用して記事を作り、都合の悪い事実を意図的に隠したのではないかとの指摘があります。

A 植村氏の記事には、意図的な事実のねじ曲げなどはありません。91年8月の記事の取材のきっかけは、当時のソウル支局長からの情報提供でした。義母との縁戚関係を利用して特別な情報を得たことはありませんでした。

"解説 問題とされる一つは、91年8月11日の朝日新聞大阪本社版の社会面トップに出た「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」という記事だ。

 元慰安婦の一人が、初めて自身の体験を「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」(挺対協)に証言し、それを録音したテープを10日に聞いたとして報じた。植村氏は当時、大阪社会部記者で、韓国に出張。元慰安婦の証言を匿名を条件に取材し、韓国メディアよりも先んじて伝えた。"

 批判する側の主な論点は、①元慰安婦の裁判支援をした団体の幹部である義母から便宜を図ってもらった②元慰安婦がキーセン(妓生)学校に通っていたことを隠し、人身売買であるのに強制連行されたように書いたという点だ。

 植村氏によると、8月の記事が掲載される約半年前、「太平洋戦争犠牲者遺族会」(遺族会)の幹部梁順任(ヤンスニム)氏の娘と結婚した。元慰安婦を支援するために女性研究者らが中心となってつくったのが挺対協。一方、遺族会は戦時中に徴兵、徴用などをされた被害者や遺族らで作る団体で挺対協とは異なる別の組織だ。

 取材の経緯について、植村氏は「挺対協から元慰安婦の証言のことを聞いた、当時のソウル支局長からの連絡で韓国に向かった。義母からの情報提供はなかった」と話す。元慰安婦はその後、裁判の原告となるため梁氏が幹部を務める遺族会のメンバーとなったが、植村氏は「戦後補償問題の取材を続けており、元慰安婦の取材もその一つ。義母らを利する目的で報道をしたことはない」と説明する。

 8月11日に記事が掲載された翌日、植村氏は帰国した。14日に北海道新聞のソウル特派員が元慰安婦の単独会見に成功し、金学順(キムハクスン)さんだと特報。韓国主要紙も15日の紙面で大きく報じた。

 植村氏は前年の夏、元慰安婦の証言を得るため韓国を取材したが、話を聞けずに帰国した経緯もあり、詳しい取材のいきさつは、朝鮮半島問題を扱う月刊誌「MILE(ミレ)」(91年11月号)に書いた。この時期、植村氏の記事への批判はまだ出ていなかった。

 また、8月11日の記事で「『女子挺身隊』の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた『朝鮮人従軍慰安婦』」などと記したことをめぐり、キーセンとして人身売買されたことを意図的に記事では触れず、挺身隊として国家によって強制連行されたかのように書いた――との批判がある。

 慰安婦と挺身隊との混同については、前項でも触れたように、韓国でも当時慰安婦と挺身隊の混同がみられ、植村氏も誤用した。

 元慰安婦の金さんが「14歳(数え)からキーセン学校に3年間通った」と明らかにしたのは、91年8月14日に北海道新聞や韓国メディアの取材に応じた際だった。キーセン学校は宴席での芸事を学ぶ施設だ。韓国での研究によると、学校を出て資格を得たキーセンと遊郭で働く遊女とは区別されていた。中には生活に困るなどして売春行為をしたキーセンもおり、日本では戦後、韓国での買春ツアーが「キーセン観光」と呼ばれて批判されたこともあった。

 91年8月の記事でキーセンに触れなかった理由について、植村氏は「証言テープ中で金さんがキーセン学校について語るのを聞いていない」と話し、「そのことは知らなかった。意図的に触れなかったわけではない」と説明する。その後の各紙の報道などで把握したという。

 金さんは同年12月6日、日本政府を相手に提訴し、訴状の中でキーセン学校に通ったと記している。植村氏は、提訴後の91年12月25日朝刊5面(大阪本社版)の記事で、金さんが慰安婦となった経緯やその後の苦労などを詳しく伝えたが、「キーセン」のくだりには触れなかった。

 植村氏は「キーセンだから慰安婦にされても仕方ないというわけではないと考えた」と説明。「そもそも金さんはだまされて慰安婦にされたと語っていた」といい、8月の記事でもそのことを書いた。

 金さんらが日本政府を相手に提訴した91年12月6日、別の記者が書いた記事が夕刊1面に掲載されたが、キーセンについては書いていない。その後も植村氏以外の記者が金さんを取り上げたが、キーセンの記述は出てこない。
 




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2014-08-05 21:47

朝日新聞慰安婦特集アーカイブその6


「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視
http://www.asahi.com/articles/ASG7M01HKG7LUTIL067.html

Q 朝鮮半島出身の慰安婦について朝日新聞が1990年代初めに書いた記事の一部に、「女子挺身(ていしん)隊」の名で戦場に動員された、という表現がありました。今では慰安婦と女子挺身隊が別だということは明らかですが、なぜ間違ったのですか。

A 女子挺身隊は、戦時下で女性を軍需工場などに動員した「女子勤労挺身隊」を指し、慰安婦とはまったく別です。当時は、慰安婦問題に関する研究が進んでおらず、記者が参考にした資料などにも慰安婦と挺身隊の混同がみられたことから、誤用しました。

解説 「女子挺身隊」とは戦時下の日本内地や旧植民地の朝鮮・台湾で、女性を労働力として動員するために組織された「女子勤労挺身隊」を指す。44年8月の「女子挺身勤労令」で国家総動員法に基づく制度となったが、それまでも学校や地域で組織されていた。朝鮮では終戦までに、国民学校や高等女学校の生徒ら多くて約4千人が内地の軍需工場などに動員されたとされる=注①。目的は労働力の利用であり、将兵の性の相手をさせられた慰安婦とは別だ。

 だが、慰安婦問題がクローズアップされた91年当時、朝日新聞は朝鮮半島出身の慰安婦について「第2次大戦の直前から『女子挺身隊』などの名で前線に動員され、慰安所で日本軍人相手に売春させられた」(91年12月10日朝刊)、「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」(92年1月11日朝刊)と書くなど両者を混同した。

 原因は研究の乏しさにあった。当時、慰安婦を研究する専門家はほとんどなく、歴史の掘り起こしが十分でなかった。朝日新聞は、国内の工場で働いた日本人の元挺身隊員を記事で取り上げたことはあったが、朝鮮半島の挺身隊の研究は進んでいなかった。

 記者が参考文献の一つとした「朝鮮を知る事典」(平凡社、86年初版)は、慰安婦について「43年からは〈女子挺身隊〉の名の下に、約20万の朝鮮人女性が労務動員され、そのうち若くて未婚の5万~7万人が慰安婦にされた」と説明した。執筆者で朝鮮近代史研究者の宮田節子さんは「慰安婦の研究者は見あたらず、既刊の文献を引用するほかなかった」と振り返る。

 宮田さんが引用した千田夏光氏の著書「従軍慰安婦」は「“挺身隊”という名のもとに彼女らは集められたのである(中略)総計二十万人(韓国側の推計)が集められたうち“慰安婦”にされたのは“五万人ないし七万人”とされている」と記述していた。

 朝鮮で「挺身隊」という語を「慰安婦」の意味で使う事例は、46年の新聞記事にもみられる。44年7月に閣議決定された朝鮮総督府官制改正の説明資料には、未婚の女性が徴用で慰安婦にされるという「荒唐無稽なる流言」が拡散しているとの記述がある。

 挺身隊員が組織的に慰安婦とされた事例は確認されていないが、日本の統治権力への不信から両者を同一視し、恐れる風潮が戦時期から広がっていたとの見方がある=注②。元慰安婦の支援団体が「韓国挺身隊問題対策協議会」を名乗っており、混同が残っているとの指摘もある。

 92年1月の宮沢首相の訪韓直前、韓国の通信社が国民学校に通う12歳の朝鮮人少女が挺身隊に動員されたことを示す学籍簿が見つかったとする記事を配信。「日本は小学生までを慰安婦にした」と誤解され、対日感情が悪化した。

 朝日新聞は93年以降、両者を混同しないよう努めてきた。当時のソウル支局長(72)は「挺身隊として日本の軍需工場で働いた女性たちが『日本軍の性的慰みものになった』と誤解の目で見られて苦しんでいる実態が、市民団体の聞き取りで明らかになったという事情もあった」と話す。


"注① 高崎宗司「『半島女子勤労挺身隊』について」デジタル記念館「慰安婦問題とアジア女性基金」
注② 藤永壮「戦時期朝鮮における『慰安婦』動員の『流言』『造言』をめぐって」松田利彦ほか編「地域社会から見る帝国日本と植民地 朝鮮・台湾・満洲」(思文閣出版、2013)"




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2014-08-05 21:38

朝日新聞慰安婦特集アーカイブその5


「軍関与示す資料」 本紙報道前に政府も存在把握
http://www.asahi.com/articles/ASG7L5Q40G7LUTIL045.html

Q 朝日新聞が1992年1月11日朝刊1面で報じた「慰安所 軍関与示す資料」の記事について、慰安婦問題を政治問題化するために、宮沢喜一首相が訪韓する直前のタイミングを狙った「意図的な報道」などという指摘があります。

A 記事は記者が情報の詳細を知った5日後に掲載され、宮沢首相の訪韓時期を狙ったわけではありません。政府は報道の前から資料の存在の報告を受けていました。韓国側からは91年12月以降、慰安婦問題が首相訪韓時に懸案化しないよう事前に措置を講じるのが望ましいと伝えられ、政府は検討を始めていました。

解説 この記事は、防衛庁防衛研究所図書館所蔵の公文書に、旧日本軍が戦時中、慰安所の設置や慰安婦の募集を監督、統制していたことや、現地の部隊が慰安所を設置するよう命じたことを示す文書があったとの内容だった。

 慰安婦問題は90年以来、国会で繰り返し質問された。政府は「全く状況がつかめない状況」と答弁し、関与を認めなかった。朝日新聞の報道後、加藤紘一官房長官は「かつての日本の軍が関係していたことは否定できない」と表明。5日後の1月16日、宮沢首相は訪韓し、盧泰愚(ノテウ)大統領との首脳会談で「反省、謝罪という言葉を8回使った」(韓国側発表)。

 文書は吉見義明・中央大教授が91年12月下旬、防衛研究所図書館で存在を確認し、面識があった朝日新聞の東京社会部記者(57)に概要を連絡した。記者は年末の記事化も検討したが、文書が手元になく、取材が足らないとして見送った。吉見教授は年末年始の休み明けの92年1月6日、図書館で別の文書も見つけ、記者に伝えた。記者は翌7日に図書館を訪れて文書を直接確認し、撮影。関係者や専門家に取材し、11日の紙面で掲載した。

 政府の河野談話の作成過程の検証報告書によると、記者が図書館を訪れたのと同じ92年1月7日、軍関与を示す文書の存在が政府に報告されている。政府は91年12月以降、韓国側から「慰安婦問題が首相訪韓時に懸案化しないよう、事前に措置を講じるのが望ましい」と伝達され、関係省庁による調査を始めていた。

 現代史家の秦郁彦氏は著書「慰安婦と戦場の性」で、この報道が首相訪韓直前の「奇襲」「不意打ち」だったと指摘。「情報を入手し、発表まで2週間以上も寝かされていたと推定される」と記している。一部新聞も、この報道が発端となり日韓間の外交問題に発展したと報じた。

 しかし、記事が掲載されたのは、記者が詳しい情報を入手してから5日後だ。「国が関与を認めない中、軍の関与を示す資料の発見はニュースだと思い、取材してすぐ記事にした」と話す。また、政府は報道の前から文書の存在を把握し、慰安婦問題が訪韓時の懸案となる可能性についても対応を始めていた。

 記事で紹介した文書の一つは、陸軍省副官名で38年に派遣軍に出された通達。日本国内で慰安婦を募集する際、業者が「軍部の了解がある」と言って軍の威信を傷つけ、警察に取り調べを受けたなどとして、業者を選ぶ際に、憲兵や警察と連絡を密にして軍の威信を守るよう求めていた。

" 西岡力・東京基督教大教授(韓国・北朝鮮地域研究)は著書「よくわかる慰安婦問題」で「業者に違法行為をやめさせようとしたもの。関与は関与でも『善意の関与』」との解釈を示した。

 これに対し、永井和・京都大教授は「善意の関与」との見方を否定する。永井教授が着目するのは、同時期に内務省が警保局長名で出した文書。慰安婦の募集や渡航を認めたうえで、「軍の了解があるかのように言う者は厳重に取り締まること」という内容だった。"

 永井教授は、業者が軍との関係を口外しないよう取り締まることを警察に求めたものと指摘。そのうえで、朝日新聞が報じた陸軍省の文書については、著書「日中戦争から世界戦争へ」で「警察が打ち出した募集業者の規制方針、すなわち慰安所と軍=国家の関係の隠蔽(いんぺい)化方針を、軍司令部に周知徹底させる指示文書」との見方を示している。

 92年1月11日の朝日新聞記事に関し、短文の用語説明で、慰安婦について「主として朝鮮人女性を挺身(ていしん)隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」と記述したことにも、「挺身隊」と「慰安婦」を混同した、などの批判がある(両者の混同については「『挺身隊』との混同」で説明)。慰安婦の人数に関しても議論があるが、公式記録はなく、研究者の推計しかない(「慰安婦問題とは」の中で説明)。 






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2014-08-05 21:35

朝日新聞慰安婦特集アーカイブその4


「済州島で連行」証言 裏付け得られず虚偽と判断
http://www.asahi.com/articles/ASG7L71S2G7LUTIL05N.html

Q 日本の植民地だった朝鮮で戦争中、慰安婦にするため女性を暴力を使って無理やり連れ出したと著書や集会で証言した男性がいました。朝日新聞は80年代から90年代初めに記事で男性を取り上げましたが、証言は虚偽という指摘があります。

A 吉田氏が済州島で慰安婦を強制連行したとする証言は虚偽だと判断し、記事を取り消します。当時、虚偽の証言を見抜けませんでした。済州島を再取材しましたが、証言を裏付ける話は得られませんでした。研究者への取材でも証言の核心部分についての矛盾がいくつも明らかになりました。

解説 男性は吉田清治氏。著書などでは日雇い労働者らを統制する組織である山口県労務報国会下関支部で動員部長をしていたと語っていた。

 朝日新聞は吉田氏について確認できただけで16回、記事にした。初掲載は82年9月2日の大阪本社版朝刊社会面。大阪市内での講演内容として「済州島で200人の若い朝鮮人女性を『狩り出した』」と報じた。執筆した大阪社会部の記者(66)は「講演での話の内容は具体的かつ詳細で全く疑わなかった」と話す。

" 90年代初め、他の新聞社も集会などで証言する吉田氏を記事で取り上げていた。

 92年4月30日、産経新聞は朝刊で、秦郁彦氏による済州島での調査結果を元に証言に疑問を投げかける記事を掲載。週刊誌も「『創作』の疑い」と報じ始めた。

 東京社会部の記者(53)は産経新聞の記事の掲載直後、デスクの指示で吉田氏に会い、裏付けのための関係者の紹介やデータ提供を要請したが拒まれたという。"

 97年3月31日の特集記事のための取材の際、吉田氏は東京社会部記者(57)との面会を拒否。虚偽ではないかという報道があることを電話で問うと「体験をそのまま書いた」と答えた。済州島でも取材し裏付けは得られなかったが、吉田氏の証言が虚偽だという確証がなかったため、「真偽は確認できない」と表記した。その後、朝日新聞は吉田氏を取り上げていない。

" しかし、自民党の安倍晋三総裁が2012年11月の日本記者クラブ主催の党首討論会で「朝日新聞の誤報による吉田清治という詐欺師のような男がつくった本がまるで事実かのように日本中に伝わって問題が大きくなった」と発言。一部の新聞や雑誌が朝日新聞批判を繰り返している。

 今年4~5月、済州島内で70代後半~90代の計約40人に話を聞いたが、強制連行したという吉田氏の記述を裏付ける証言は得られなかった。"

 干し魚の製造工場から数十人の女性を連れ去ったとされる北西部の町。魚を扱う工場は村で一つしかなく、経営に携わった地元男性(故人)の息子は「作っていたのは缶詰のみ。父から女性従業員が連れ去られたという話は聞いたことがない」と語った。「かやぶき」と記された工場の屋根は、韓国の当時の水産事業を研究する立命館大の河原典史教授(歴史地理学)が入手した当時の様子を記録した映像資料によると、トタンぶきとかわらぶきだった。

 93年6月に、吉田氏の著書をもとに済州島を調べたという韓国挺身隊研究所元研究員の姜貞淑(カンジョンスク)さんは「数カ所でそれぞれ数人の老人から話を聞いたが、記述にあるような証言は出なかった」と語った。

 吉田氏は著書で、43年5月に西部軍の動員命令で済州島に行き、その命令書の中身を記したものが妻(故人)の日記に残っていると書いていた。しかし、今回、吉田氏の長男(64)に取材したところ、妻は日記をつけていなかったことがわかった。吉田氏は00年7月に死去したという。

 吉田氏は93年5月、吉見義明・中央大教授らと面会した際、「(強制連行した)日時や場所を変えた場合もある」と説明した上、動員命令書を写した日記の提示も拒んだといい、吉見氏は「証言としては使えないと確認するしかなかった」と指摘している=注①。

 戦時中の朝鮮半島の動員に詳しい外村大・東京大准教授は、吉田氏が所属していたという労務報国会は厚生省と内務省の指示で作られた組織だとし、「指揮系統からして軍が動員命令を出すことも、職員が直接朝鮮に出向くことも考えづらい」と話す。

 吉田氏はまた、強制連行したとする43年5月当時、済州島は「陸軍部隊本部」が「軍政を敷いていた」と説明していた。この点について、永井和・京都大教授(日本近現代史)は旧陸軍の資料から、済州島に陸軍の大部隊が集結するのは45年4月以降だと指摘。「記述内容は事実とは考えられない」と話した。


注① 吉見義明・川田文子編「『従軍慰安婦』をめぐる30のウソと真実」(大月書店、1997年)




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