2012-10-09 19:46

反原発文学者らの傲慢

10月9日、文学者らによる新たな反原発市民団体「脱原発文学者の会」が発足した。

 

呼びかけ人は加賀乙彦・川村湊・佐藤洋二郎・宮内勝典・森詠の5人で、他に辻井喬ら十五人が賛同しているそうだ。今後は持続的な反原発活動を行い、文学者の立場から反原発を提言していく予定らしい。ゴミ共め、何が文学者だ。

 

こいつらの作品は一つも読んでないが、加賀乙彦など何人かは売国サヨクとして名前に聞き覚えがある。おそらく、その他の呼びかけ人も賛同者も、全員が売国サヨクか放射脳だ。そうでなければ、文学者が反原発団体のごときに参加するわけがない。

 

 

実に不愉快なニュースだ。何が不愉快かと言うと、文化人を名乗る反原発派の傲慢だ。

 

当たり前だが、文学者とは原子力技術のど素人で、ど素人が何人集まって意見を交わしたところで有用な議論にはなり得ない。放射脳作家らが「ボクはこう思う」なんて感想文を寄せ集め、「文学界の意見である!」と提言を世に送り出すのだ。

 

本来、文学者が原発について議論しようが発言しようが構わない。しかし、原子力技術をろくすっぽ勉強せず、感情論に基づく反原発の結論ありきは論外で、それを「有識者グループの意見」として振りかざす姿勢には反吐が出る。

 

それがどれほど傲慢な行為か、奴らはまるで理解していないだろう。何故ならば、売国サヨクや放射脳は、常に「被害者を装った加害者」だからだ。自分達が本当の被害者となった場合、つまりは本当の被害者の気持ちを全く考えない。

 

 

奴らの行動パターンは、逆の構図を考えれば分かりやすい。

 

日本文学を全然読んだことが無い科学者や技術者、あるいは経営コンサルタントや農林水産漁業者など、文学と全く関係無い業界の雄志が、「日本文学などつまらん!」「存在価値無し!」と決めつけ、それを啓蒙する目的で団体を設立したらどうか。

 

文学者らの反応は目に見えている。間違いなく、「言論・表現の自由を侵害するのか!」「日本文学を差別するな!」等とヒステリックに批判し、団体が存在する限り批判の声を緩めない。多くのマスコミも同調し、反日本文学団体を潰しにかかるだろう。

 

ところが、放射脳文学者は自分達の反原発活動だけは「当然認められるべき権利」と考える。逆の場合は相手の権利を一寸たりとも認めないくせに、自分達だけを特別扱いすることに疑問を感じない。これを傲慢と言わずして何と呼ぶのか。

 

 

no-risuが身を置く業界では、一社として反原発活動に参加も支援もしていない。企業は電力の重要性を理解しているし、サラリーマンはプロ市民活動に興じるほど暇ではないのだ。思い上がった暇人共め、文学者の分際で経済の邪魔をするな。

 

 

東京:脱原発へ「文学者の会」 加賀乙彦さんら 9日発足

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012100702000086.html
 作家の加賀乙彦さんら文学者の有志が九日、三・一一後の日本について考える「脱原発文学者の会」を発足させる。作家を中心とした対話サロンやシンポジウムを随時開き、原発に依存しない社会の構築に向けて議論を深めていく。
 呼び掛け人となるのは、加賀さんをはじめ、文芸評論家の川村湊さん、作家の佐藤洋二郎さん、宮内勝典(かつすけ)さんら五人。ほかに辻井喬さんら約十五人が賛同しているという。
 東京都千代田区の「アルカディア市ケ谷」で九日、第一回会合を開く。NPO法人「原子力資料情報室」の共同代表・西尾漠(ばく)さんから、原発をめぐる現状について報告を受けた後、活動内容について話し合う。
 呼び掛け人の作家森詠(えい)さんは「東日本大震災の発生から時間がたち、脱原発の雲行きが危うくなっていると感じる。文学者がまとまって意見を出す時期。オープンな交流の場を作り、持続的な活動にしていきたい」と話している。 (中村陽子)

 

 

 

関連記事
スポンサーサイト
  1. 指定なし
  2. TB(0)
  3. CM(0)

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する