2012-10-26 00:34

橋下市長の取材拒否釈明は詭弁

橋下市長は25日、朝日新聞及び朝日放送への取材拒否に関する批判について、自身のツイッターで大量の弁解を投稿した。下にいくつかピックアップして紹介しておくが、同じ内容を何度も繰り返しているだけなので、全部を読む必要は無い。

 

要約すれば、「政治家がメディアの取材を受けるのは、それが国民への説明責任を果たす手段であり、国民から信頼されないメディアの取材など断っても問題ない」ということだ。自分と週刊朝日の問題を、市民とメディアの問題に誘導したい魂胆が透けて見える。

 

 

この弁解が詭弁であることは簡単に理解できる。まず、「メディアに対する国民の信頼」とあるが、本件に照らせば「朝日新聞に対する国民の信頼」と言うことになる。橋下市長が取材を拒否したのは朝日新聞なのだから当然だ。

 

では、何を持って朝日新聞が国民に信頼されていないと判断し、取材拒否に踏み切ったのか。週刊朝日の記事が、朝日新聞読者に朝日新聞への信頼を失墜させたのか。しかし、朝日新聞と週間朝日は別会社だし、新聞読者のほとんどは週刊朝日など読んでいない。

 

これは断言できる。朝日新聞の発行部数は800万部だが、週刊朝日は20万部しかないからだ。仮に、週刊朝日の20万部全てを朝日新聞読者が購入していても、「ほとんど読んでいない」と言い切っても問題ない割合だろう。

 

この現状で、週刊朝日の差別記事を理由に朝日新聞の取材を打ち切ることは合理性に欠ける。まあ、もともと取材拒否は朝日新聞権力の利用が目的で、説明責任だの国民の信頼などは後付け理由なのだからら合理性もクソもない。

 

 

マスコミに対する不信感は、以前からネットで大きく騒がれている。もしもそれらを根拠にすえるのなら、週刊朝日の問題など関係なく取材拒否を継続させるべきだろう。朝日新聞だけでなく、毎日新聞やフジテレビあたりも即刻取材拒否せねばなるまい。

 

しかし、橋下市長は朝日の取材規制を解除し、その他のメディアには規制をかけなかった。週刊朝日の記事でメディアの体質が変ったわけでもないのに、メディアへの国民の信頼を理由に弁解するのは無理がある。

 

 

そもそも、国民が信頼していなければ、メディアは国民への説明責任を果たせないのだろうか。橋下市長は、国民の信頼を得ていないメディアを「国民の知る権利に奉仕しない報道機関」だと吐き捨てている。本当にそうだろうか。

 

新聞社には社風があり、各社は自社の意思を反映させた報道を行う。しかし、自社の主張は社説やコラムなど一部論説欄や、配信記事の本数やボリューム調節などで行われるものだ。紙面の大半を占めるのは、単なる出来事の報告である。

 

マスコミ批判をする人々も、通常の記事にまで信頼性云々は言わないだろう。情報をネットに頼る人々も、マスコミのおかげで基本的な情報が得られていることは否定していない。信頼されていようとされていまいと、国民の知る権利に貢献していることは明白だ。

 

 

橋下市長の主張する、「政治家の説明責任」と「メディアの信頼性」は、いずれも取材拒否の理由にはなりえない。だいたい、朝日新聞をターゲットにした「真意」を自慢げに語っていたじゃないか。真意とは、「解決力を持つ組織を相手にするのが交渉」だった。

 

つまり、朝日新聞が週刊朝日に働きかけるよう恫喝(取材拒否)したのだ。それを今になって説明責任だの国民の信頼だの、よくもまあ息を吐くようにウソがつけるもんだ。そのウソも穴だらけで、ウソの上和塗りとはこういう状態を言うのだろう。

 

 

橋下市長は週刊朝日が謝罪に訪れた際、「第三者委員による検証結果がまとまったら、公開の場で報告を受け取りたい」と要請したそうだ。報告とは名ばかりで、実態は再度の謝罪になるだろう。週刊朝日がひれ伏す様を見せつけるための「公開」に決まっている。

 

要は公開処刑だ。橋下市長、つくづくカス野郎だな。

 

 

以下、ツイッターより一部抜粋

https://twitter.com/t_ishin
国民の信頼を集めていないなら、その報道機関の発する情報を国民は信頼しない。そうなると公人がその報道機関に説明しても国民への説明責任を果たしたことにはならない。いかなる報道機関の行動も妨害してはならない。しかし、取材要求に応えるところまで、報道の自由が保障しているわけではない。

 

報道機関が公人に取材要求をし、公人がそれに応えるのは、それが国民への説明責任を果たすことになるからだ。そのような取材、会見を最大限に尊重するのは、報道機関が国民の信頼を寄せており、そこへの説明が国民への説明に繋がっているという擬制に基づく。

 

報道機関の取材活動自体は、報道の自由、取材の自由の範疇だが、質問に全て応えるというのは、報道の自由の範疇外。それは公人の国民への説明責任の問題。報道機関だから、そのことだけで質問に全て応えてもらうのは当然と言うものでもない。国民の知る権利に奉仕しない報道機関にそのような権利はない。

 

報道機関の質問が尊重されるのは、それは国民の知る権利に応え、国民から信頼を寄せられている報道機関であることが前提になっている。報道機関であることだけで、無条件に回答義務付きの質問権が保障されるわけではない。回答義務付の質問権を得るためには、報道機関も報道機関足り得なければならない。

 

 

 

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