2014-04-21 22:20

教師が「先生」でなくなる日

政治家、医者、教師など、世の中には「先生」と呼ばれる職業が存在するが、学校の教師ほど社会に親しみを持って受け入れられている職業は他に無いのではないか。政治家の「センセイ」などは、権力におもねる汚れた大人の媚びへつらいでしかない。

教師が先生と呼ばれるのは、人様の子供を預かり、勉学のみならず人格形成や日常の安全管理まで請け負い、親達は教師を信頼し、教師は信頼に応えてきたからだろう。「公」に求められる職責を果たしてきたから、誰もが当たり前のように「先生」と呼ぶ。

埼玉県の県立高校で、新入生のクラスを受け持つ担任教諭が入学式を欠席し、息子の入学式に出席したことが大きな話題になっている。個人的にはどうでも良い話だ。担当クラスを優先するべきだったと思うが、やり玉に挙げる程の大問題には感じられない。

教師の数は多いのだから、中には息子を溺愛する親バカもいるだろうし、公と私の優先順位がおかしな教師もいるだろう。ただ、それは組織であれば必ず発生する個別の案件で、全体として公を重んじる教師の矜持が保たれていれば何も問題ない。

現場の声を紹介した報道によれば、我が子のために入学式を休む教師はごく少数で、ほとんどの教師は担当クラスの生徒を優先しているらしく、「一部事例で教師全体が公を軽んじる体質に見られるのは心外」、とのこと。実際そうなのだろうと思う。

ところが、釈明した教師も驚いただろうが、この問題で盛り上がるネットでは、びっくりするほど賛否が拮抗していた。息子を優先した教師が袋叩きにされると思ったが、「教師だって人の親、家庭を優先して何が悪いのか」、といった擁護がかなり多い。

良くない傾向だな、と思った。

家庭優先を容認する世論の大きさについて、教師らは何を感じただろうか。人並みの権利が認められた、自分達にだって家庭を守る権利がある、教師だって一人の人間なのだ、ようやく理解してもらえるようになった、等と安堵してやいまいか。

no-risuの見方は全く異なる。教師は危機感を持つべきだと感じる。

教師の「私」を認める人達は、当然の様に自分達の「私」も優先するはずだ。担任教師が気に入らなければ、躊躇無く文句を言うだろうし、現場に介入しようとするだろうし、子が教師に叱られれば必要以上に説明を求めたり、クレームをつけたりもするだろう。

教師を信頼して子供を預けるのではなく、「教師の仕事だから当たり前」とドライに割り切る。教師はお客様たる保護者の期待通に仕事して然るべき、感謝すべきは税金で給料を貰っている教師の側である、そんな風潮が広がっているように思えてならない。

とどのつまり、教師のプライベート優先が許容されるのは、社会の教師に求める「公」が低下しているからではないのか。つまり、「先生」と呼ばれ信頼され尊敬されてきた聖職者から、ただの地方公務員・サラリーマンと同列に見なす人が増えたのではないか。

「それで良いじゃないか」、と思われる人も居るだろう。でも、教師たるもの「先生」であってほしいと思う。公に尽くし、信頼され、尊敬され、親からも子供からも慕われる存在であってほしい。教師が「私」を容認されるようになったら、それはもう「先生」ではない。


産経:担任の入学式欠席 教師が優先すべきは何か
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140416/edc14041603330001-n2.htm
" これをおかしいと思うのは古いのだろうか。
 埼玉県の県立高校で、新入生のクラスを受け持つ担任教諭が入学式を欠席し、息子の入学式に出ていた。同様の理由で担任不在だった入学式がほかの県立高校でもあり、県教育長は校長会で新入生や保護者に不安を与えないよう指示した。"
 家族は大切だ。どうしてもという事情があったのかもしれない。しかし、教職者だからこそ優先すべきことはあるはずだ。多くの教員に、改めて重い職責を認識してもらいたい。
" 50代の女性教諭は、息子が入学する高校の式と重なったことから入学式を欠席した。校長らに相談のうえ事前に休暇願を出して認められていた。
 校長は入学式の担任紹介で「子供の入学式のために欠席」と説明した。教諭は「大切な日に担任として皆さんに会うことができないことをおわびする」などとした文書をつくり、副担任らが生徒や保護者に配ったという。"
 埼玉県教委が調べたところ、県立の別の高校で同様の例が3件あった。教育長は定例記者会見で「新入生や保護者に心配や不安を抱かせ申し訳ない」とし、校長会では高校生活を安心してスタートできるよう配慮を求めた。
 わが子の入学式を優先するかどうか。この問題はネット上でも多く取り上げられ、賛否は拮抗(きっこう)している。埼玉県教委には電話やメールで意見が寄せられた。欠席を認めた校長らへの批判がある一方、欠席に理解を示す声が半数以上あったという。
" かつて桜の中、親に手を引かれた子供たちが入学式に向かうのは、小学校の光景だった。
 いまは、大学の入学式も保護者で埋まる時代だ。職場では家族を大切にし、家庭の事情に配慮する意識が進んでいる。欠席を認めた校長も、理解は得られると思ったのかもしれない。"
" だが、入学式は先生と生徒の出会いの場である。担任教師にとって特別な日ではないのか。
 教え子のため、寝食を忘れる多くの教師がいたからこそ、「仰げば尊し」と尊敬の念が生まれた。「私」を抑え「公」を優先すべきときがあることを身をもって教えることも教師の仕事であるはずだ。時代は変われど変わってほしくないものもある。教師は生徒を優先する存在であってほしい。"




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コメント

他人にそこまで期待するのも・・。

自分の子かよその子かになると、親としては究極のエゴになりますよね。私には子供いないけどペットがいます。だから想像になりますけど、我が子にすべてをかける権利と義務があるのは親だけだと思うんです。先生は聖職者だが、子にまで優先させろとまで要求する親はさすがに少ないのでは。
まあ、高校生の息子なら、旦那だしとけよーとも思うのですが。


  1. 2014-04-22 03:08
  2. URL
  3. うさこ #-
  4. 編集

To うさこさん

こんばんは。

擁護派のみながうさこさんの様に優しい理解ならいいんですけどね、どうもそうではない人が多い様に思えてなりません。そして、おそらく教師側の意識は今も昔も大差なくて、社会が教師を見る目が変わりつつあるのだと思います。

他人にそこまで期待するのも、とは一理ある意見だと思いますけど、私は教師を「他人」とはみなしていませんし、口には出さずとも期待しないのはそれこそ失礼だろうと思います。私の中では、教師は「先生」」ですからね。
  1. 2014-04-22 19:22
  2. URL
  3. no-risu #-
  4. 編集

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