2014-10-17 21:50

慰安婦検証記事の失敗に学べぬ朝日新聞


朝日新聞は10月15日、新聞週間を機に言論機関としての役割を見つめ直す観点から、「新聞と言論―社会を単色にはしない」との社説を掲載した。

新聞社としての使命や倫理観を自分に言い聞かせるかの様な内容だが、内向きな自己弁護も多く、慰安婦検証記事の失敗から何も学んでいないことがよく分かる。やはり朝日は朝日か。

今回のエントリーでは、社説全文を晒しあげて朝日の問題点を指摘していきたい。


朝日:新聞と言論―社会を単色にはしない
http://www.asahi.com/paper/editorial.html
" 新聞に求められる言論機関としての役割は何だろう。新聞週間を機に考えてみたい。
 朝日新聞の場合は、オピニオン面が主に言論のフォーラム機能を担っている。読者からの声、識者からの寄稿やインタビュー、そして社説が載る。"


のっけから嘘を吐く朝日。オピニオン面だけではないだろう?。安倍政権が復活してから、朝日は記者の意見を随所に挿入するし、通常記事に記者の主観や感情が混じっても平気で掲載するようになった。もちろん、それらは全て「朝日らしい」論調だ。

" 社説の内容は、20人あまりの論説委員によって積み重ねられてきた毎日の議論にもとづいている。その主張については最終的に論説主幹が責任を負う。
 委員の間で意見が割れ、激論になることもある。ただ、異論も踏まえているからこそ、論説主幹個人のものではない社の主張として成り立っている。"


「20人あまりの論説委員によって積み重ねられてきた毎日の議論」、とは誤解を招く表現だ。「毎日20人が議論して社説を作っている」かの様に読める。しかし、注意深く読むとそうは書かれていない。論説委員の合計が20人、というだけだ。

誰にも相談せず一人で書いた社説でも、「積み重ねられてきた毎日の議論にもとづいている」と言えてしまう。この紛らわしい表現は意図的に違いない。少しでも自分を良く見せようと、意図的に誤解させようとしたに決まっている。

もう一点、「20人」の主義主張が問題だ。お仲間サヨク連中を20人集めようが100人集めようが、それでは「異論を踏まえている」とは言えない。香港の民主派候補排除問題と同じだ。いくら激論になろうと、所詮はコップの中の議論にすぎない。

 読者や識者の考えは、必ずしも社説とは一致しない。池上彰さんのコラム掲載見合わせは悔やみ切れない過ちだが、オピニオン面や紙面全体を通じて、社説にとらわれない多様な視点を提供しようと努めている。

「多様な視点を提供しようと努めている」と言うが、努めているかどうかは読者が判断することだ。自画自賛してどうする。そして、読者の一人として言わせてもらえば、朝日新聞は多様な視点を提供していない。提供する努力も感じられない。

" このところ、各新聞社の間で社説の主張が大きく二分されることが目立つ。
 例えば、集団的自衛権の行使を認める7月の閣議決定。朝日新聞は「この暴挙を超えて」と題する社説で、解釈改憲に踏み切った安倍政権を批判した。
 一方、読売新聞は「抑止力向上へ意義深い『容認』」との見出しで、自民・公明の与党合意に基づく決定を歓迎した。こうした違いがあることは、日本の言論空間が健全であることの表れだ。"


議論のすり替えである。今朝日新聞が省みるべきは、マスコミ全体の健全性ではなく朝日新聞の健全性だ。自分の不健全を棚に上げて、業界全体を論じようとは思い上がりも甚だしい。産経新聞も、「朝日に言われたくない」と失笑するだろう。

 それでも、自戒を込めていえば、意見の対立が激しくなるほど「我々が正しいのだ」と筆に力が入る。記者が陥りがちな悪い癖かもしれない。行き過ぎればメディアが政治のプレーヤーになりかねない。そうなると、まるで政治闘争であるかのように筆はとがっていく。

何が「それでも、自戒を込めていえば」か。「朝日は自戒の必要が無いくらい謙虚だが、それでもあえて自戒すれば」とでも言いたいのか。木村社長が「事実の前ではより謙虚であるべきだった」と自戒したばかりなのに、やはり口だけだったのか。

他にも、「なりかねない」とか「あるかのように」とか、まるで朝日がそうではないかの様な書きぶりだ。朝日だけではないが、マスコミの政治介入は目に余る。自覚し認めよ。

 安倍首相の憲法への姿勢に対し、私たちは「憲法によって権力を縛る立憲主義に反する」と批判してきた。一方、立憲主義には「多様な価値観の共存を実現する」というもう一つの大きな意味があると憲法学は教える。

改憲だけではないだろう?。特定秘密保護法、原発、沖縄米軍基地、自虐史観と教育、慰安婦問題含め歴史認識と外交、それら全ての問題について、朝日新聞は特定の立場からのみ報道し続けている。問題を矮小化するなと言いたい。

 朝日新聞への批判から逃げようというのではない。ただ、慰安婦報道に携わった元記者の勤め先の大学が脅迫されるほどに過熱しては、多様な価値観が共存できるはずの社会の基盤が脅かされる。

謙虚さの欠片も無い社説中で「批判から逃げようというのではない」と言われても、説得力は皆無であろう。そもそも、多様な価値観を排除してきたのは朝日新聞自身ではないか。社会に訴えたくば、まずは朝日が多様な価値観を受入れよ。

" 新聞の役割は、意見の対立をあおることではない。考える材料をいかに社会に提供できるかにある。そのことを改めて確かめておきたい。
 私たちの社会が、ひとつの色に染められてしまうことに抗するためにも。"


「朝日が言うな」、その一言に尽きる。

意見の対立を煽るも何も、朝日新聞は常に特定の主義主張から記事や社説やコラムを書いてきた。両論併記を怠り、異なる意見との議論を封じ、社会を朝日新聞色に染めるべく、自分に都合の良い「考える材料」ばかりを投下して世論誘導をしてきた。

酷い社説だ。朝日が反省していないことばかりが伝わってくる。「ああ、こんなに謙虚な私は何てカワイソウでステキなのかしら!」、といった自己陶酔すら感じられる。しかし、これでも朝日新聞としては最大限謙虚に振る舞ったつもりなのだろう。

朝日新聞の信頼回復は無理ではないのか、そんな思いが日に日に強くなる。





関連記事
スポンサーサイト

テーマ:報道・マスコミ
ジャンル:政治・経済

  1. マスコミ
  2. TB(0)
  3. CM(2)

コメント

 朝日の「多様な価値観」と言うのは独特の物で、「国賊」「非国民」と言って朝日の論調を批判するのは、「多様な価値観を損なう」けれど「差別」「ヘイトスピーチ」と言って言論弾圧するのは「多様な価値観を守る」もののようです。

 旧ソ連の言論の自由と同じ物でしょう。

 アメリカ人;アメリカには言論の自由がある。 オレタチはホワイトハウスの前でレーガン大統領を罵る事ができる。

 ソ連人:ソ連にも言論の自由がある。 オレタチだって赤の広場でレーガン大統領を罵る事ができる。
  1. 2014-10-18 09:13
  2. URL
  3. よもぎねこ #-
  4. 編集

To よもぎねこさん

こんばんは。

朝日の言う「多様な価値観」とはサヨクのエゴですね。朝日様ともなれば高学歴の集まりだと思うのですが、どうしてこんなことに気が付かないのか実に不思議です。

旧ソ連のジョーク、一瞬何だろうと思いましたが、すぐに理解して爆笑しました(笑)。このところの韓国にも当てはまりそうですねぇ。


  1. 2014-10-18 20:50
  2. URL
  3. no-risu #-
  4. 編集

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する