2017-02-02 20:15

犯罪者にも人権はある


犯罪者にとって住みにくい世の中になった。昔であれば、その人が前科もちかどうかなんて、関係者くらいしか分からなかったし、調べるには興信所に安くない金を払うくらいしか知るすべが無かった。ところが、今なら誰でもネット検索で一発だ。

自業自得ではあるものの、昔より社会的制裁が重くなったことは間違いない。法律の外で勝手に量刑が増えたわけで、はたしてこれが異論反論の余地無く正しいと言えるのか、ネット記録という半永久的な制裁が許されるのか、no-risuは違うと思う。

過去に児童買春で逮捕された男性が、3年経っても名前を検索すると犯罪履歴が表示され、これが「忘れられる権利」に反しているとして、情報削除を求める訴訟を起こし、2月1日に最高裁判決が出て、男性は敗訴した。

高裁では「そんな権利ねーから」と一蹴された。最高裁は「罪の性質から公共性が勝る」との理由だ。性犯罪者に関する情報には公共性があると。まあ、そりゃそうだろうと思う。性犯罪者はGPS監視すべきかどうかが議論されているくらいだ。

ちなみに、最高裁は「プライバシーの保護が明らかに優越する場合は削除できる」とも示した。おそらく、違法に個人情報や会社情報をアップされた場合などが対象になるのだろう。男性みたく、「黒歴史を消去したい件」とはあまり関係ないと思われる。

で、最高裁判決により、男性の性犯罪記録は削除されずに残されることが確定した。男性には妻子がいるそうだ。いつ子供が自分の名前を検索するか、不安におびえる日々が確定したわけで、そのストレスは想像を絶するものと推察する。

罪が罪だけに、「ザマアw!」と思う気持ちも正直あるが、同時に、「ちょっとやりすぎなんじゃないか」とも思う。(男性がそうか知らないが)罪を償って、更正して、普通の暮らしをしていても、人格否定や家庭崩壊等のリスクが永続するってどうなのよ?。

子供に罪は無いわけだし、子供を悲しませないためにも、何らかの「配慮」はあって良いのではないか。しかし、「配慮」を「忘れられる権利」で担えるか考えると、これも簡単ではないように思う。「忘れられる権利」は「忘れることを強要する権利」だ。

人間は、忘れる生き物だが、思い出す生き物でもある。「忘れられる権利」は「思い出す権利」と両立するのか。また、よく言われるように「知る権利」や「表現の自由」との兼ね合いも難しい。でも、だからといって現状維持は間違っていると思う。

こういう言い方はあまり好きでないが、犯罪者にも守られるべき人権はある。半永久的に制裁が続くネットの記録は、犯罪者の人権を明らかに侵害しており、何らかの是正策が講じられるべきだと思う。何事にも限度があるのだ。



東京:ネット検索削除「プライバシー保護が明らかに優越の場合」 最高裁が初判断
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017020190135535.html
" インターネットの検索サイト「グーグル」に対し、自分の逮捕歴に関する報道内容が表示されないよう記事の削除を男性が求めた裁判で、最高裁第三小法廷(岡部喜代子裁判長)は、検索結果を表示する表現の自由と比べて「プライバシーの保護が明らかに優越する場合は削除できる」と判断基準を初めて示した。
 一方で、ネット上に残り続ける個人情報の削除を求める権利として議論を呼び、二〇一四年に欧州連合(EU)が認めて注目された「忘れられる権利」には触れなかった。
 決定は一月三十一日付。最高裁は男性の場合はこの基準に当たらないとして訴えを認めず、男性の申し立てを退けた東京高裁の決定が確定した。裁判官五人の全員一致の結論。
 最高裁は、検索結果で表示される情報の収集や整理は自動的に行われるが、そのプログラムは検索事業者の方針で作られるため、「表現行為の側面がある」として事業者に表現の自由の利益を認めた。
 その上で、個人のプライバシーを含む記事などの検索結果を削除できるかどうかの基準を▽事実の性質や内容▽事実が伝達される範囲と具体的被害の程度▽その人の社会的地位や影響力▽記事の目的や意義-などと示した。事実を公表されないことによるプライバシー保護の利益が、事業者の表現の自由を明らかに上回る場合には、削除できると結論付けた。
 男性は氏名と住所地の県名で検索すると、一一年に児童買春事件で逮捕された際の報道内容が表示される状態だった。最高裁は、児童買春が社会的に強い非難の対象で公共の利害に関する事項だとして、削除を認めなかった。
 男性はさいたま地裁に記事削除を求める仮処分を申し立て、一五年の地裁決定は、男性の主張を認め「忘れられる権利」を明示した国内初の司法判断として注目された。しかし東京高裁は昨年、申し立てを退け、「忘れられる権利」は法律で定められた権利ではないとした。"





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コメント

この判決はいたって適正だと思います。
この御仁が同反省しどういう更生をたどったのかについては興味もありませんが、性犯罪者はその再犯可能性が高いとしてトレーサビリティが強化される方向にあります。それを考えれば検索されて出てしまうというのは妥当性があるでしょう。

犯罪者にも人権はある、はい、そうでしょう。しかし、犯罪の前後で全く無関係にその人権が維持されるというものではないでしょう。何らかのペナルティはあってしかるべきです。これも含めての社会的制裁なんですyね。この御仁は他にも方法があったはずです。

まず第一には今までの人間関係を清算し、全く縁故のない土地で第二の人生を歩むということをすること、次に改名の手続きをし過去からの自分を断つことでしょう。これは今までの社会的地位を捨てるということですから厳しいことは明白ですがこれを行えば検索結果に出ても問題はないでしょう。後は整形手術でもすれば完全でしょう。

この御仁はっきり言って甘いのですよ。

犯罪はしました。でも、すでに社会的制裁は受けましたから今までの人間関係のまま生活することを認めてください。

こう言ってるわけです。「忘れられる権利」はなくても「自分」を物理的に変えることは可能なんです。こうい事ができるから許容性が有るでしょう。

酒鬼薔薇聖斗はそれをやってもまだ物議をかもしてます。未成年であっても社会的制裁はまだ足りない、というのはまともな意見だと思います。この判決至ってまともだと小生は思います。
  1. 2017-02-03 16:48
  2. URL
  3. kazk #-
  4. 編集

To kazkさん

こんばんは。

私は今回の最高裁判決に異を唱えていませんよ?。妥当だと思います。

ただ、これをきっかけに全体を考えたい、ということです。

ネットの発達に伴う社会的制裁の強化は、社会が意図したことではなく、結果としてこうなっただけですからね。私としては、罪を償い更生した罪人は許されるべきだと考えます。半永久的に許されなくても良い、自業自得といった考え方は、千年たっても加害者と喚く韓国や、30年前の下着泥事件で内閣を揺さぶろうとする民進党と同質の歪んだ考え方だと感じます。

しかし、ネットにより日本社会にその様な機能が備わってしまった、これはどうなのよ?ということです。

本件の男性に対する同情の念はさほど大きくありませんが、同情せずにはいられない様な元罪人も大勢いるはずで、これは何かしらの救済を考えねばならないだろうな、ということ言いたかったエントリでして、言葉不足で誤解させていたら申し訳ないです。

  1. 2017-02-03 20:04
  2. URL
  3. no-risu #-
  4. 編集

そのあたりは判決文にあると思いますよ。

「事実を公表されないことによるプライバシー保護の利益が、事業者の表現の自由を明らかに上回る場合とは。たとえば過失犯などで再犯可能性が低い場合や、人の社会的影響力が低下した場合などはそれを削除できる可能性はあるわけです。これが最高裁の考えるバランスでしょう。

社会的制裁とは判決を受けその罪を償うことにとどまりません。自己の社会的評価の低下は当然に伴うわけです。しかし犯罪者であっても自己を変えることは不可能じゃありません。名前と住所を変え人間関係を更新して生きることも可能なわけです。当然相当の苦しみを伴いますがね。

この御仁は「子供が自分を検索してなんたら…」というようなことを言う。それを含めての罪だということでしょう
。1000年たっても加害者だとか言って留連中には事実関係で関係なしといい続けるしかありません。基地外には何を言っても無駄だということです。事実関係の有無と犯罪の有無は全く別です。微罪評価と重要犯罪の評価は国民が判断すること、おそらくは選挙前になれば二重国籍問題は火を噴くでしょう。下着ドロより問題は大きいでしょうね。

基地外は放っておくしか無いのです。ああいう連中は選挙で葬るしか無いんですから。
  1. 2017-02-04 17:56
  2. URL
  3. kazk #-
  4. 編集

To kazkさん

こんばんは。

最高裁判決を読んだわけではありませんが、最高裁が示した削除基準とは、あくまで「削除できる」という基準であって、また従前の基準というか実際の運用をなぞったにすぎず、Googleらに削除を義務づけるものでもガイドラインでもなく、社会への影響力や変化は無いと思われます。Googleらは自主的に削除しないし、削除を求めても拒絶しますし、それが今後も同様に続いていく。

犯罪を犯せば自己の社会的評価の低下は当然に伴う、というのは私も否定しません。当然です。否定しようとも思っていません。

ですが、その程度がネットにより大きく変化していることについて、「それははたしてどうなのか?」という議論は必要だと思うわけです。「それを含めての罪だということでしょう」と仰られた部分、本当にそうなんでしょうかね?。議論すべきですよ、良かろうと、悪かろうと、本件の原告男性がどうであろうと。
  1. 2017-02-06 20:27
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  3. no-risu #-
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